AKY48

ええ、AKB48じゃなくって。
この頃よく耳にする「KY=空気読めない」のバリエーション?で
「AKY=あえて空気読まない」、と。


先日、「行列のできる法律相談所」で
誰かにツッコまれた磯野貴理が言ってました。
“私はKYじゃなくてAKYだから!”って。


まぁ、「空気読めない」でなんでも片付けて
場を調和させちゃう事に対する違和感はスゴクありますよ。


でも、「KYなんて何なんだ!!空気なんて読まなくていい!」
とまで言ってしまうアンチKY論者もどうなのか、と。


単に場の空気がどうとか考えずに
思いつくままに発言をするのって、
単にアナーキーなだけでしょ。
空気を読んだ上で、そこにくさびを打ち込むのか、
同調を選ぶのか、はたまた同調しつつ更に盛り上げるのか、を
考えられてこそナンボじゃないのと思うわけです。


だいたい、発話って、コミュニケーションの場が前提だと
思うわけですよ。そのコミュニケーションが、
敵対的なものか友好的なものかは別として。
そういう、“場”、“空気”を読めないで
モノを言うことが果たして偉いのか??と。


そういう意味では、空気を読む・読まないという二項対立関係を
アウフヘーベンするのは(笑)AKYかもしれんぁ、と。


で、『AKY48ーあえて空気を読まない人のための48の選択』とかの
本が出たらおもしろいんじゃないか?と
勝手にAKB48との語呂合わせから思った次第です。
…なんだか雑誌「SPA!」とかの特集タイトルになりそうでもありますな。
あ、48歳のタレントとかでAKY的な人による
『AKY48ーあえて空気を読まない48歳の生き方』もアリか(笑)。