小さな舟?
久しぶりに会った女性。
はい、元妻です。
そうして会って話をしていると、
すごく楽しくて、話も弾んで。
どんな小さな話題でも盛り上がって、
互いに(たぶん)楽しい気持ちになれて。
…改めて、「ヤマアラシのジレンマ」について考えてしまったわけです。
思えば、その彼女とつきあい始めたときも、
すごく楽しい日々だった。
見たい映画、おもしろがるトピック、気になる事件、行きたいと思っている店。
どんなことでも、一緒に笑顔で楽しめた。
そして、しばらくして、結婚。
でも、「結婚」ということの重みに押されたのか。
楽しい時間を味わうこともできず、
苦しい時間が一日、一日と重なり。
それからしばらくして、離婚。
その時点で思ったこと。
「最高の友達のままでいればよかったのに…」。
あえて言いかえれば、「結婚」という舟にさえ乗らなければよかったのに………、と。
思えば、彼女とは「同じ方向を向いていられる」仲、だったのかもしれない。
いや、今を踏まえれば、「同じ方向を向いている」仲、なのかもしれない。
かつて友達として、あるいは彼氏・彼女として、
同じ方向を向いて楽しい時間を過ごしてきたんだと、
今から振り返ると、思う。
結婚、というのは、もしかしたら、
その「同じ方向を向く」という事だけでは
やっていけないものがあったのか。
あるいは、二人の中に、
何か「同じ方向を向く」のとは違ったもの、あるいはそれにプラスしての何かを
結婚に求める気持ちがあったのか。
同じ方向を向いて並んでいるときには刺さらないトゲが。
共に一つの「家庭」という乗り物の上に乗るとなると、
刺さってしまう。
それくらい、「家庭」というものが、「結婚」というものが要求する
距離が、近いのか。
この前、Siegさんが日記へのコメントで書いてくれていた、
「(バツイチに起因する消極性を)打破する」ということ。
そのことについて、このところ、ずっと折に触れて考えていた。
次こそは相手をハッピーにしたい、そして自分もハッピーになりたいと
思うわけですから…。と、言い訳(?)。
いや、逆に言えば。
途中で相手をアンハッピーにしたくないわけですよ。
そこは、弱気なところではあると思いますが。
07/5/8日記より
相互の意志の力で、その小さな小さな、互いのトゲが刺さりそうな
「家庭」という乗り物に
乗ってみる。
あるいは、乗ろうとしてみる。
そこに何か、答え、あるいは答えへの手がかりがあるような、気がする。
学んできたことを、無視してムチャな踏み出し方をするワケじゃない。
学んできたことを踏まえて、その上で、次の一歩を踏み出してみる。
同じ方向を向きながら、同じ舟に乗って、
最高の笑顔を浮かべながら進んでいける。
あるいは、同じ方向を向きながらも
隣のパートナーにも視線を配りつつ、
互いに最高の気持ちで、前へ次の一歩を踏み出せる。
そんな、進み方を目指してみたいと思っているわけです。
いや、支離滅裂ではありますが。