ジャマイカの空の下に思いを馳せながら


先日、この日記(cf:日記 2006年1月23日)に書いた
Bob Marleyの「No Woman No Cry」の歌詞のこと。
そのときには発見できなかった参考図書が、
本の山の中から発掘されました!
やっぱりこれでした、
『最初のラスタ レナード・ハウエルの生涯 ルーツ・オヴ・レゲエ』
(エレン・リー著/音楽之友社刊)。
ルーツ・オヴ・レゲエ―最初のラスタレナード・ハウエルの生涯


歌詞の中で「ガバメント・ヤード」という歌詞が出てくるところ。
この「Government yard」は、
ボブ・マーリーの歌詞の中に出てくる「トレンチタウン」の旧称、トレンチ・ペンに
あった、いわゆる「公団」なんですね。
退役軍人のために、1940年、ジャマイカ政府が建てた団地。
これが今では古びて、団地の居室も多くの人数が住めるように小分けにされている、
らしいです。
まぁ、ひらたくいえばスラム化している居住地、ということでしょうか。

…1940年、政府は退役軍人のためにこの地に団地を建設することにする。
これがいわゆる<ガヴァメント・ヤード government yard>だ。
今日、この団地は古くなって色あせ、定員以上の人口を収容するために
細かく間仕切りされている。
台所は屋外の鉄板のひさしの下にあり、そこは雨の降る夜ともなれば
宿無しの若者たちのねぐらとなるのだ。
(前掲書p174下段)

ボブ・マーリーも、母親がアメリカへ去ってしまった後、
この団地の“屋外台所”で暮らしていたことがあったらしいです。


そんな、ブリキ屋根のそばで友達のジョージーが火をおこし、
その火で作ったコーンミールの粥を分け合う二人。

ガスなんてない。粥の入った鍋は、薪の焔でコトコト音を立てて。
そんな鍋の音、そして薪のパチパチいう音が
夜の静寂をいっそう際立たせていく。


「泣くなよ、俺が行ってしまったって、
きっとうまくいくさ。」


薪の焔に横顔を照らされながら、そうつぶやくボブ・マーリーの姿が
浮かびます。


……歌の背景を知るほどに、トレンチタウンの星空を
見上げてみたくなりました。


*ちなみに、この「No Woman No Cry」の作詞者は、
 ヴィンセント・フォードとしてクレジットされています。
 一説には、ずっとトレンチタウンに住み続けた旧友フォードに
 印税が入るようにボブが取りはからった、とも言われていますが、
 真偽は不明です。