熊野・神倉神社の「お燈祭り」

数年前から、急に熊野に関心を持ち始めていました。
熊野古道を歩いた友人から、
なにしろ「気」が押し寄せてくるようで
夕暮れに歩いていたらホントに怖かった、
半泣きになりながら人家を求めてさまよった、という話を
聞いたのがきっかけだったと思います。


で、2003〜04年にかけての冬休み。
熊野古道を一人、目指しました。
…しかし、「目指した」どまりだったんです。
休み前からゴホゴホいっていた風邪が
悪化の気配を見せ始めたため、
熊野へ向かう途中の名古屋で一泊して
そこで悲しく東京へUターン…。
その雪辱をいつかリベンジしたい!と思っていたところに、
折良く、熊野出身のある人から
「2月8日にお燈祭りがあるんだけれど、
行かないか」というお誘いが。
これぞまさに渡りに船!ということで
急遽仕事の休みを調整し、
池袋発熊野・新宮行きの夜行バスに乗り込んだのでした。

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熊野で長年続いているこの火祭り、
正しくは「お燈祭り」と言って女人禁制の行事。
当日の朝は海で水垢離をして
(最近は自宅の風呂ですませる、という人も多いらしく、
風邪が治ったばかりの私も風呂ですませましたが…)
食事はカマボコやシラス、塩おにぎりなど
白いものだけしか摂らず。

そうそう、女性との“関係”も一時断たなければならない。
そして白装束で腰に荒縄、手には松明といういでたちで
町なかに散在する関連神社を詣でた後、
夕暮れ時から、神倉神社という
山の急斜面の上に建った神社へと向かう。

そして辺りがすっかり暗くなった頃、
山の上の方にある神社境内から御神火が登場し、
各自が手に持った松明に着火していく。
御神火から松明へ、そして松明から松明へ。
境内はごく狭く、急斜面だが
そこが一面の松明の炎で包まれ、
一気に荘厳さと猛々しさとが混ざり合った
異様な雰囲気に包まれる。

そして、その狭い境内と参道の仕切りに立つ
入り口の門が閉ざされると、
一気に緊張感は最高潮へ!!
なにしろ、非常に急な石段の参道を駆け下りて
麓の太鼓橋まで最初にたどり着いたものが
“最高の男”との栄誉を得られるわけで、
スタートラインとなる境内の「門」の近くは
やる気満々の男衆で一触即発の雰囲気。
実際、どつき合いもあちこちで起こっていて、
仕切りの番人に引き離されたりしている。
火の粉が風で舞い上がり、頭上から容赦なく降り注ぐ。
木綿でできた装束はもうあちこちが黒く焦げ、
見知らぬとなり通しで「火ぃ、ついてるぞ!」と
手でバタバタと叩いて消す場面がしばしば見られて。

そして、いざ、開門!!
先頭集団は猛烈な勢いで、飛ぶように
石段を駆け下りていく。
二番手集団の後方くらいに位置した私は、
カメラを抱え、戦場のキャパになった
つもりくらいのテンションで
シャッターを切り、また駆け下り、を繰り返す。
傍らでは押し合いで転げ落ちたのか、
あるいは転倒して人波に踏まれたのか、
血を流して参道の脇に倒れ込んでいる人の姿も。

ようやく麓の太鼓橋まで駆け下りると、
そこから町中へと向かう道の左右には、
女性、女性、女性。
彼氏を、夫を、思いを募らせている相手を
待つ女性たちが、
参道を降りてきた白装束たちを
見つめている。


その中、待つ人のない私は
松明の火を高く掲げながら
なぜか誇らしげな猛々しい気持ちで
歩いていく。
ふと見上げると、夜空には丸い月が。
あの月と、この今のオレは繋がっている。
そんなバカげた思いさえ、
自然に頭に浮かんでくる。
また、この祭りに来よう。
また、松明を高く掲げよう。
そして、石段を更に疾く駆け抜けよう。
そう思いながら、心地よい高揚感と
燃え尽きた松明を手に、宿舎への帰途についた。

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…って、結局今年は行けなかったのですが…(涙)。
こうして振り返って書いていたら、
ホントに痛恨の念がわき上がってきました…。
来年こそは、必ず!!


しかし、熊野周辺が世界遺産になったこともあり、
かなり混みそうなのが心配ではあります。