四週間のあいだに

今日、先日書いた友人の名前から差し出された封書が届いた。



それは、私から出した「ごく遅い寒中見舞い」という名前の"エール"への
返信としての近況報告。


エール、といっても、こちらから言葉を綴った手紙を送ったわけではない。
「返信無用」と書いてきたヤツの手紙の心を(勝手に)おしはかり、
ただ、こちらが手紙を差し出した日付と、意味もない絵を描いたハガキを投函しただけ。
「お前の手紙、受け取ったぞ」ということを伝えたかった、
そして何か、ヤツが(その先がごく末梢的な一端(=オレ)だったとしても)世界に繋がっている、ってことを伝えかった。
それだけで、筆を執っては置き、執っては置き、を繰り返した後、
数日は悩んで投函せずに置いてあったハガキ。ようやく出したハガキ。
意味ある言葉なんて、書けるはずもなかった。



で、その友人からの手紙。
ポストにそいつの見慣れた文字が書かれた封筒を見た瞬間に、
「生きてる!」
そう思った。
もう、他の郵便物なんかにかまっていられない。
部屋にたどり着く前に、封を切る。



そこに綴られた、ヤツらしい口の悪さ一杯の文。
「わけわからん手紙よこしやがって」、的な。


どうやら、まずは初期手術が終わり、
4月末まで本手術に向けての事前治療をしておくらしい。
で、4月末から4週間ほど自宅治療、そして本手術とのこと。


そして、「その自宅治療の間に会おうか」と。






…会いたいよ、それは。
でも、会えばこれから先に待っている本手術のことを、
そしてその先のことが思い浮かばざるを得ないだろう。


そこで会うことが、はたして、いいのか。
むしろ、「ホントに退院してから会おうぜ」と言うべきじゃないのか。
ヤツが、「今より先」へと視線を向けるようなことを
オレはすべきじゃないのか。



…でも、多分、オレはヤツからその自宅治療の間に
連絡があったら、会うだろう。
だって、それは会いたいから。
会って、(何を言うかは全く判らないけど)何かを話したいから。



その時、少しでもヤツが「それならもっと先まで生きなきゃ」と
思えるような言葉が口に出せるよう、
あれこれ悩んでみることにします。


そうはいっても、多分、実際に会ったら
こうして考えていることなんて、
ゼロになってしまうんだろうけどね。


その瞬間、オレの口から出る言葉が、
ヤツにとって、ほんの少しでもパワーになりますように……!



コトダマの力を、本気で信じたくなった、この今夜。