分かってもらいたいキモチ


オトコ仲間2人と呑む。
その2人と共通の知人である、例の女性。
必然的に、「どうなのよ!??」という話になるわけで。


自分の今の思いを、酔っぱらいながらも
(ある程度酔わないとそういう話をマジメにできなかったりするわけで…)
語ってみたりしたわけです。


で、一人は「まぁそういうのも分かる」、
もう一人は「いやいや、それはやっぱりしっかり(つきあいを)
繋いでおかないと」と。



意見はそれぞれだったけれど、
やっぱり、長年のつきあいで互いのことが分かっている友人に
話を聞いてもらう、というのはありがたいことで。



「分かる」という文字を見てみると、「分けられる」と
通じてるのかな、と勝手に思ったりして。
…キモチを、聞き手に分けられる、というか。


今の私のこのキモチを、分かち合ってくれる(というのはこっちの
勝手な思いこみかもしれないけれど)人がいる、というのは
本当に、ありがたいことです。


いや、別に自分の考え方を正当化したり、
あるいは「それが正しいよね」と言ってもらうつもりはなくて。
「まぁ、そういう考え方もあるよね」という程度でも
十分に嬉しいわけです。


なんだろう?このヘンな感覚って。


考え方が合致するかしないか、ということ以前の、
「その論点の設定の仕方自体はわかるよ」、という
すごく大枠での方向性が受け入れてもらえたありがたさ、というか。


うーん、そうやって裏付けされることで
自分の考えを肯定したい、という腹黒い考えは
きっと自分の中にあるのだとは思いますが。


ともかくも、この、話し合いを共通の土台でしてくれる仲間がいる、ということは
ホントにありがたかった、です。



サンキュー、です。