日々のひび

がーっと働き続けていた。
震災からの二週間ほど。


直後には、時折、なんだかネジが外れたようにテンション上がって笑い続けたりもして。


そして、折々、ひとりで沈んだりもして。



東京に住む自分としては、
東北の重大な被災のあった地域に
肉親がいるというわけではないのだが。


仕事がらみの知人、百人を越える人たちのダイアル
災害用伝言ダイアルの171の後、「伝言の再生」の「2」に続けてプッシュし、
かたっぱしから安否確認の電話をかけ続けた。


被災直後ということもあってか、
どの電話番号にも、当人からのメッセージはなく、
安否を気遣う親類の、心細げな、
それでいてその心細さをあえて声色に出さないように抑えている
数々の、声、声、声。



「おばあちゃん、どうしてるのか心配してます。連絡できるようになったらでいいから、
電話もらえるとうれしいです」


「△△さん、無事ですか。こっちはなんとか大丈夫です、連絡がほしいです。」


「どうしてる、○○ちゃん。無事でいてくれることをみんな、祈ってるよ」



…。


その過程で、お一人の方が亡くなられていると知った。


仕事繋がりといっても、
多分、直接は一度か二度しかお会いしていない方だけれど。


なにげなくバタバタと自分が送っていた日々の中に
とつぜん打ち込まれたくさび、突然現れたひび。


今、google消息確認を含め、自分ができることはもはや
ほとんどない。


消息確認作業に忙殺されていた時間は、
まだ自分の内面を見つめなくてよかったのだけれど。


じわり、じわりと黒い水が、自分の足元から膝の上を越えて
腰までやってきていたのに気付かずにいたのかもしれない。


でも、乗り越える。
そして、いつしかまた以前のように、笑ったり怒ったり悩んだりしながら
日々を生きていく。
その日々に、もしかしたら突然ひびが入るかもしれない、ということを
わかった上で。


ひびが入るかもしれない、とわかったからこそ。


その瞬間を、全力で、でも時にゆるゆると、生きる。


それが、今、自分ができることなんじゃないか。


「自分が今、できること」の正しい答えは、
いつになっても、判らないだろうけれど。


生きる。


生きる。


生きる。